2022年03月28日

飲み込まれる

まだまだ、母の原稿と格闘しております。
というか、何度かの郵送の追加に加えて、今日、母と打ち合わせと称して会ってきました。
母としては、最初で最後の本。
あれも入れたい、これも入れたい、カラー写真も入れたい……激安の製本直送と言えども、どんどん値段が上がっていきます。
(モノクロより、当たり前だけどカラーが高い)
まぁ、いいけど。
ただ、昔に書いた文章に加えて、本にする事が現実になってから書いた文章ってのが、怨念……いやいや遺恨……いやいや何だ、これ。
力、入ってるていうか、物凄い熱意で走り書きされていくので、ぼーっとしてると飲み込まれる。
昔、ギイタク書いてた時、渦に巻き込まれるような感覚でタイピングしてたなってのを思い出したのだけど、それは自分の渦だったから心地よい感覚で漂えた。
でも、他人の渦に触ると、精神的に巻き込まれるのね。
これが、結構しんどい。
悔いが残らない様、最後まで気を抜かないけど、終わったときには屍になっている予感がする。
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2022年03月26日

誰が連れて行ったのか

なんか、この頃、昔の事を思い出します。
母の原稿を打っているせいだろうか……。

1990年前後の話です。
母は昔からPTA活動とか町内会活動とか父兄のクラブ活動(?)とか、そういうのに活発で(まぁ、父も年末の「火のよ~じん、カンカン」とかやってたけど)、そういうので家にいないのも普通だったんですが、年に一回「町内会婦人会忘年会」の飲み会ってのがあったんです。
誰かの家に食べ物を持ち寄ってとか、近所の店でとかでもなく、大阪でいうキタとかミナミの店を予約して、大勢で繰り出す。
そして、翌日二日酔いで娘に当たり、私か妹が薬局に二日酔いの薬を買いに行く。
ここまでがセット。

いつだったかは忘れたけれど、その婦人部忘年会に80代か90代かのおばあちゃんを連れて行った。
私は、もちろんよくよく知っているおばちゃん。
少し腰の曲がった、「ほぉ、ほぉ」と言うような、おばあちゃん。
そのおばあちゃんを連れて、二次会にディスコに行ったらしい。
あれですよ。
あのバブル時代のディスコですよ。
あのミラーボールキラキラのディスコですよ。
あとでおばあちゃんに聞いたら「ですこ」って言われたけど。
「冥途の土産」って言われたけど。
てか、誰が連れて行った?
一応、当時私20歳前後でしたけど、ディスコ行った事なかったんですけど(ディスコに行くより、飲みに行く方が好きだった)
マジに、どこのディスコに行ったんだろ。行ったことないからわかんないけど、結構規約が厳しかったような気がするんだけど。
でも、そのディスコもびっくりだよね。
20代から80代か90代のおばあちゃんまでの団体が現れて入ってきたら。
でも今でも不思議に思う。
誰が連れて行ったのか。
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2022年03月12日

戦争と横浜

サンプル本が実家に届いて、母が狂喜乱舞してました。
電話越しだけど、まさに狂喜乱舞。
でも、その心境はわかる。
それと同時に追加の原稿が届いてポチポチと打ってますが、母の願いは、その本を姉弟に渡す事。
今まで書いた新聞投稿などに、昔の思い出なんかを新たに書き足しているから。
で、その原稿の中に、母の母(私から見て母方の祖母)の新聞投稿の記事があったので、黄色く変色してすり切れていたけど、なんとか解読しました。
いくつかあるなかで、ひとつ。
こんな世の中だから。今は亡きおばあちゃんが見てきた事。



「行ってきます」と元気に出て行った若者が港を出るとすぐ敵の潜水艦にやられ、泳いできたという。
 当時、主人は日本郵便会社の外国航路の船員。やっと手に入れたマイホームは伊勢佐木町に近い花街の待合だった。家が大きかったため、私は船員専用の下宿と間貸しを始めた。船がドック入りの間は二階の広間は若者でにぎわった。
 私は五人の子供に恵まれ、平和で楽しかった。しかし、あの忌まわしい戦争のためにすべてが大きく変わった。主人の船は撤用船に変わり、二度と帰らぬ若者もいた。彼らの荷物置き場には引き取り手のいない荷物がほこりにまみれていた。
 戦争が激しくなるにつれ、二人の子供を田舎に疎開させ、家の中は風がびゅうびゅうと吹き抜けるような寂しさだった。隣の空地と床下に防空ごうを掘り、警報のたびに避難した。歌も踊りも軍事調となり、それもやがて学徒動員の宿泊所になってしまった。
 外では何を売っているのか分からない行列に人々は先を争って駆けて行き、何回も列に加わった。ますます空襲は激しくなり、ついに私たちも疎開せざるを得なくなった。平和になってからの再会を約し別れたが。
 いつも私の家を常宿としておられたボースンのKさん、また他のみなさんはどうしておられるだろう。懐かしい第二の故郷・横浜のことをしきりに思い出す今日このごろである。
posted by りか at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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